パトス・ボイトレ 哲学的追及

宇宙観

人は
生れたことも、死んだことも体験できない
始めと終わりは、頭の認識でわかることで
体験では分からない
生れてないし、死ぬこともない

 

宇宙は
貴方の誕生とともに生まれ
貴方の死とともに亡くなる・同時消滅する

宇宙は貴方から生まれた
貴方の視野から生まれた

 

 

意識する前の意識
自然に、あるがままに、無になって
前提にすると
自然に、あるがままに、無になって でなくなる

 

『そういうことですか』
理解した ということ

『そういうことか』
体験した ということ

体験して本当に理解できる

 

0点から100点まであるとき

考えの上では1点から99点まで間があるが

物事は、この間は全て0点で

100点か0点しかない

 

我を捨てるとは、妥協できること

どうしても妥協できない部分は何か?

それが仏性

 

感謝とは、今を認められること

今を認めてあげられること

今から動ける・変われることに気付くこと

 

今が分かりにくいのは

縁は、固定されたものでなく

矛盾したものが同時になりたつ

バランスした状態で1つに成っている

現在進行形(動き=無常)である

1)『歌が上手い』とは、何か? 
2)『上手く歌うには』どうしたら、良いか?

 

この二つの質問は、
上手く歌えていないことの辛さ、
下手さから解放されたい、
という思いのもとに発せられている。
 

この思いには間違いがないが、
この質問の答えを『知る』にするのは、問題がある。
それは、
1)『上手い』は、知ることではないもの
2)『上手い』は、目標にして到達するものではないこと


2つの問の答えは
何もないが、ある」という考え
1)『上手い』とは、体験に基づく気付きであり、
  一切が、無自己にして成っている様子の気付きである。
2)すでに出来ている(成り立っている)のだから、

  出来る(成り立つ)に、至る方法は無い
  出来てる様子に触れらることが、出来ることになる。

 

  上記が『知らぬが仏』の意味かも

  (無心、無欲  思わず、図らずも、咄嗟に)

   (コツを掴む、今その感覚を覚える)

 

私たちは主体(思考)をたて、物事を客体化し
認識の上に乗っかってきているものを事実だと思っている

 

目標に向かって努力することではない

(答えに向かって探してゆくことではない)

 

考え方ではなくて、五感という機能のままにまかせておき、

『上手いか?、そうでないか?』とは本当に
底抜け、思慮分別が切れたところに、

触れるか、触れないか、だけの差

 

徹頭徹尾、自分と付き合い、自分から離れたら何も学べない

縁起で動かされる、受け身的活動体に気付き

縁(受け身)を動かすことで、そのまま能動的になれる

 

単独自立して動けるものは何一つない

 

自分の身体は、自分の中にあるから、何かをしようとするが

体の中も、外の力も、内の力も、関わりの中で成り立っている

 

関わり(存在感)は、

『今』の中にしかない、過去にも未来にもない

 

上手くなるための練習ではなく、

練習をするそのもの(さま)が、今できる上手さのさまである


今を感じられる事が、できてる事
今を現せ・出しきる事が、表現
(今に出すことではない、今でしょうでもない)

今を味わえている声こそが、最高の声

 

自殺は死にたいではなく、今を生きられなくなること

(今を生きてない人は、死に人?)

今に生き切るため、自我を死に切る(無我)

 

今を、未来をどうするか(未来の不安)だけに使わない

今を味わえるエネルギーが、乗り越えるエネルギーになる